赤字
2020年08月23日
●建築ブームがやってきた●
私は、長野の山の中にある村で生まれました。
幼少の頃、おとなしかった私は、よその人が
来たら隠れるぐらいの引っ込み思案でした。
中学ぐらいになってからは、成績が比較的
良くて、だんだん自信がついてきました。
でも、家がものすごく貧乏だったので、
中学を卒業したらすぐ就職しようと思って
いたのです。
しかし親は、「何とか高校まで行きなさい」
と言ってくれました。
当時は、日本中が高度成長期の中にあり、
建築ブームで、いわゆる建築家という職業は
エリートでしたから、私はそれに憧れて、
高校の建築科を選びました。
私が埼玉のゼネコンに入社したのは、
昭和45年、大阪万博の年です。
世の中は活気に溢れ、大きなものがどんどん
作られていました。
新幹線も通っていき、高速道路もバンバン
できていったのです。
入社後の私は、若手の中では一番の出世頭で
20代で大型プロジェクトの責任者を任される
ようになりました。
ある総合病院のプロジェクトでは、
2億円以上の利益を出したのです。
その頃は、初任給が26,000円ぐらい
でした。
。現代で言えば、2億円は
16?17億円くらいの価値があります。
それでまた自分の評価に拍車がかかり、
会社や周囲から認められるようになりまし
た。
それに世の中の動きにとても勢いがあった
ので、毎年2割ぐらい給料が上がっていく
のです。
今では考えられませんが新卒を採用するたび
初任給は2割アップしていきました。
私が34才ぐらいの時のことです。(ざっくり言えば)
レース場のプロジェクトの責任者となった
のですが、ちょうどその頃、バブル経済が
始まりました。
それで何が起きたかは、、ものすごい
勢いで人件費や物の代金が上がっていった
のです。
プロジェクトは入札でしたから、
予算は最初から決まっていました。
その後、どんどん人件費や物の代金が急騰
していったので、プロジェクトはスタート前
から大赤字になってしまいました。
私はいつも利益をトップクラスで出して
いましたし、もちろん赤字など、
それまで一度も出したことがないです。
赤字予想は6億円の高額になっていました。
現在の値段に換算すれば、数十億円になる
。
このプロジェクトは大きいだけに工事施工の
期間が長く、3年の工期がかかります。
それでも最後には、「大赤字を出した」と
いう会社の評価が待っているのです。
それを承知の上で、何年もやらなくては
いけないのは、すごくつらいことでした。
そして、ついに私はうつになってしまった
のです。